しばらくのそとね

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メタデータ
資料番号
II-02-019

サブコレクション
石本コレクションII

内容分類
災害

資料分類
鯰絵

年月日
安政2年10月2日

印刷分類
多色

別タイトル
雨にハ困ります野じゅく しばらくのそとね

備考
同資料:I-02-001

資料解説
江戸時代、十一月の顔見世狂言では『暫(しばらく)』が上演されていたが、これは、善人方が悪人方に危難を加えられそうになる時、豪傑が「しばらく、しばらく」といいながら登場し、ツラネ(長いせりふ)を披露する、というものである。この「しばらくのそとね」は、〝『暫』のツラネ〟をもじり、地震で家が倒壊したため〝しばらくは外で寝る〟という意味にしている。舞台の『暫』には、半分敵で半分道化という役柄の鹿島入道(通称鯰坊主)が登場するが、「しばらくのそとね」の画中でも、鯰坊主は要石で押さえられている。当時は、江戸庶民の誰もが、人気狂言のせりふ、名場面のかけ合いなどをよく知っていた。「しばらくのそとね」は『暫』のツラネの節回しで地震被害について伝えているが、『暫』のツラネをよく知っていた当時の人々は、そのもじりを十分に楽しむことができたはずである。歌舞伎狂言の『暫』は、代々の市川団十郎が当たり芸として演じてきた。七代目市川団十郎が制定した歌舞伎十八番の一つにも数えられている(制定当時の名は、五代目市川海老蔵)。この絵も、団十郎による『暫』が想定されていて、画中に記された「市中三畳」という名は、市川団十郎の俳名が三升であるため、市川三升のもじりになっている。また、衣装などに見える三重の□は、市川家が使用していた紋である。「しばらくのそとね」には、作者・絵師名、版元名、そして改印が見当たらない。しかし、これについても、絵は浮世絵師の三代目歌川豊国が描き、文は魯文が記したことがわかっている(戯作者仮名垣魯文の弟子の記した『仮名反古』による)。三代目の豊国は、役者絵を数多く残した人気絵師であった。「しばらくのそとね」からも、著名な作者や絵師が関わったものが、地震後の混乱に乗じて、通常の錦絵出版までの手続きを踏まずに出版されていたことがわかる。【湯浅淑子】