とてつるけんかへ歌
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メタデータ
- 資料番号
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II-02-011
- サブコレクション
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石本コレクションII
- 内容分類
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災害
- 資料分類
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鯰絵
- 年月日
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弘化4年3月24日
- 印刷分類
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多色
- 出版事項等
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国輝画
- 備考
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同資料:I-02-092/善光寺地震についての資料
- 資料解説
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弘化四年(一八四七)正月、『笑門俄七福(わらうかどにわかのしちふく)』の舞台で、六代目松本幸四郎、二代目市川九蔵、四代目中村歌右衛門の演じた舞踊、「とてつるけん」が大評判となった。「とてつるけん」は、「酒は拳酒、色品は、カエルひとひょこ三ひょこひょこ へびぬらぬら なめくで参りましょ ソレじゃんじゃかじゃかじゃかジャンケンな 婆様に和藤内がしかられた 虎がはうはうとてつるてん 狐でさあきなせ」という唄に合わせて、三人が狐拳(狐は狩人に負け、庄屋に勝つ、狩人は庄屋に負け、狐に勝つ、庄屋は狐に負け、狩人に勝つというジャンケンに似た遊び)を打つ、というものである。江戸で「とてつるけん」が大流行した際には、「とてつるけん」を演じた三名の役者が拳を打つ絵が多数出版された。この「とてつるけんかへ哥」の文句は、「とてつるけん」の流行時に制作されており、文字通り「とてつるけん」の替え唄になっている。また、画中で狐拳をしている阿弥陀(庄屋)、旅の女性(狩人)、鯰(狐)も、それぞれ「とてつるけん」を演じた松本幸四郎、市川九蔵、中村歌右衛門の似顔になっている。「とてつるけんかへ哥」を描いた歌川国輝が信州地震を描いている絵は、他にも『かわりけん』(I-02-052)と「さてハしんしうぜん光寺・・」の二種が知られているが、二種とも「とてつるけん」の替え歌を入れ、「とてつるけん」を演じた役者たちの似顔を描いている。これらの信州地震の絵は、鯰を描いてもじりを使っており、安政江戸地震の摺り物に先立つものとして興味深いが、同じように弘化四年の出来事として、内藤新宿太宗寺の閻魔像の眼玉盗難事件や、浅草の見世物企画(朝比奈の大人形)についても、この「とてつるけん」の唄のもじりを使った摺り物が制作されている。そのため、信州地震関係の絵については、「とてつるけん」の絵の流行があったからこそ生まれた絵という見方も重要である。【湯浅淑子】
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