老まづ
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メタデータ / Metadata
- 資料番号
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I-02-088
- サブコレクション
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石本コレクションI
- 内容分類
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災害
- 資料分類
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鯰絵
- 年月日
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安政2年10月2日
- 印刷分類
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木版(多色)
- 縦×横(cm)
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36.5×25
- 別タイトル
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おなまづ
- 資料解説
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絵の表題は、「老」の字に「おな」というルビが振られている。「おなまづ」と読むのであろう。大きな文字のみ読めば「老」「ま」「づ」となっていて、さらにその下に「常磐寿無事大夫直伝」とあり、常磐津の『老松』に関係するであろうことがわかる。実際、画面上部に記された文句は地震で家屋が崩れる様が語られているが、「そもそも松の・・・」ではじまる『老松』のもじりになっている。下部に列記されているのは、地震で焼けた吉原遊廓の仮宅(吉原が復興されるまで、臨時の遊女屋とされた所)場所である。さらに、座敷で三味線を弾く芸者と、鯰の身振りで一本杉の軽業を披露する太鼓持ちの絵が描かれている。この絵には、絵師名、版元名、改印は見られない。しかし、戯作者仮名垣魯文(かながきろぶん)(地震当時は鈍亭魯文)の弟子の記した『仮名反古』によれば、この絵は地震の翌日に魯文が記して、浮世絵師の河鍋暁斎(かわなべぎょうさい)が絵を描いたといい、大評判となって数千枚が売れたという。このような摺り物は、まだ余震の続く中売り出され、人気を集めていた。とはいうものの、吉原の仮宅は、地震からひと月後、十一月四日になって願い出されているので、仮宅場所まで記されているこの絵が翌日の出版であるという点については、疑問が残る。【湯浅淑子】
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