西陂先生謾録 ; 言行録(セイハ センセイ マンロク ; ゲンコウロク) / [澤村西陂著]. [写本]

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メタデータ / Metadata
書名よみ
セイハ センセイ マンロク ; ゲンコウロク

書誌情報
[書写地不明] : [書写者不明], [書写年不明] 1冊 ; 23cm 注記: 題簽の書名: 逆天餘唾 ; 写本 ; 左右双辺有界 ; 巻末に「肥後先哲遺編目次有澤村西陂、或是撰此書者、可覆檢、澤村邁、字伯黨、稱武左衞門、號西陂、桃井播磨守直常裔、肥後熊本人、寛政十二年三月二十二日生、文政九年九月十九日入佐藤一齋塾、後改字子寛、稱宮内、歴任高瀬市尹、司謁、國學助教、安政六年八月十六日歿、享年六十、葬高平村、配梅原氏、子修蔵、字士發、己未腊月湛記」と森鴎外朱書識語あり ; 印記: 「服部圖書」

請求記号
鴎B40:396

画像
書入頁

内容記述
肥後熊本の人で、陽明学者・佐藤一斎の門に学んだ、澤村西陂の随筆。巻末の「己未腊月」という書入れによって、鴎外が本書を大正7(1918)年12月に読んだことがわかる。抄本ではあるが、筆跡を見るに、本文はおそらく鴎外筆ではない。鴎外の書入れは、欄上と巻末識語のみである。欄上書入れは、本文の字句訂正と、登場人物の伝。巻末識語には、澤村西陂の伝が記してある。 水野忠邦と土岐頼旨を比較する記事、入江素川の記事などから、本書原本は天保6年(1835)前後成立かと考えられる。内容は文字通りの「漫録」であり、熊本藩の政事・学風についての批評と、幕末文人の評判が混在している。西陂が佐藤一斎に聞いたと記す条、とりわけ青木文蔵・村瀬拷亭・匹田斎・河合隼之助といった人物の逸話は、文化文政年間の文苑を知るための貴重な資料であり、西陂自身も独特の陽明学理解に立って、文人の批評を行っている。また、堀巣鶴・藪槐堂・秋山玉山・藪孤山・高本紫溟・中山黙斎・古屋愛日など、肥後藩学の系譜についての意見も興味深い。 鴎外が注記する人物名は、全て武藤厳男編『肥後先哲偉蹟』正編に挙がっている。ただ、本コレクションに所蔵されているのは『稿本肥後先哲遺蹟』のみであり、該書には澤村西陂の項がない。鴎外が拠ったのは『肥後先哲偉蹟』ではないかと考えられる。(多)
参考文献: 「澤村西陂先生の陽明学」(『陽明学』56号,1913年6月)
参考文献: 武藤厳男編『肥後先哲偉蹟』正編,隆文館,1911年

区分
和書