長禄江戸圖(チョウロク エドズ) . [写本]

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メタデータ / Metadata
書名よみ
チョウロク エドズ

書誌情報
([製作地不明] : 森鴎外, 1915.1) 1舗 ; 70×88cm (折りたたみ26×18cm) 注記: 題簽の書名: 長禄武蔵國江戸圖 ; 写本 ; 巻末に「朱書以大久保酉山所藏図校合 安永七戌年十月狩野閑川 文化七年庚午五月九日再校畢 天保十有五年甲辰夏五月四日謄写於海津城南三首堂南窓下 北澤草艸」「使伏見釛之助借北澤正誠所藏図写之 明治三十二年八月中澣 青郷」とあるものの写 ; 巻末に「大正四年一月二十六日夜影摸 源高湛」とあり ; 畳物 ; 彩色あり ; 巻末の森鴎外識語に「大正四年三月十二日得版図對校了図題曰長禄二己未年二月江戸図其下註曰弘化二巳年迄三百九十年也榮々堂藏板 高湛再識」とあり

請求記号
鴎J81:82

画像
全頁(1舗)

内容記述
本図には長禄年間(1457-1460)の年号が冠されているが、実際には近世中後期ころに成立した推測図である。識語にあるとおり、鴎外はこの地図を大正4年(1915)1月に摸写し、さらに同年3月に弘化2年(1845)に栄々堂が板行した図と校合している。鴎外は原図の識語も写し取っているが、それによれば本図はもともと、安永7年(1778)に画家の狩野閑川が写したものであった。閑川によるその図は、天保15年(1844)にふたたび謄写され、佐久間象山の門人で、のちに外務省書記官を勤めた北沢正誠《まさなり》の所蔵となっていた。その北沢蔵の図が、青郷なる人物によって明治32年(1899)にさらに写されたものを、鴎外が摸写したという複雑な過程をたどっている。 鴎外は武鑑とともに、古地図も多数蒐集していたが、みずから写した地図はきわめて珍しい。(出)

区分
和書