忠興公御以来御三代殉死之面々(タダオキコウ ゴイライ ゴサンダイ ジュンシ ノ メンメン) . [写本]

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メタデータ / Metadata
書名よみ
タダオキコウ ゴイライ ゴサンダイ ジュンシ ノ メンメン

書誌情報
([製作地不明] : 興純, 1912.12) 1冊 ; 24cm 注記: 題簽の書名: 細川家殉死録 ; 写本 ; 奥書に「忠興公御以来御三代殉死之面々長傳略阿部茶事談共二巻 北岡御邸御文庫中之御本也邸外他方持出難成規定也下宿迄持下願滞態二日三夜燈下寫取處拙筆老眼誤字落字可推續也 大正元壬子年十二月中旬七十六翁 興純識」とあり ; 和装. 袋綴じ

請求記号
鴎H20:530

画像
全頁

内容記述
鴎外自筆の題簽には「細川家殉死録」とある。改稿『興津弥五右衛門の遺書』の資料。鴎外は初稿『興津弥五右衛門の遺書』を大正元年(1912)10月の『中央公論』に掲載したが、その後、本書及び『興津又二郎覚書』(鴎H20:442)・『興津家由緒書』(鴎H20:432)を入手し、これらに基づいて改稿を加え、単行本『意地』(籾山書店,大正2年6月)に収めた。奥書に「忠興公御以来御三代殉死之面々長伝略/阿部茶事談共二巻/北岡御邸御文庫中之御本也邸外他方持出難成規定也下宿迄持下願滞態二日三夜燈下写取処拙筆老眼誤字落字可推続也/大正元壬子年十二月中旬七十六翁/興純識」とあり、この後に鴎外の手に渡ったものであろう。大正2年(1913)の4月3日の日記には、「夕より興津弥五右衛門に関する史料を整理す」とある。(出)
関連作品: 『興津弥五右衛門の遺書』(全集10巻)
参考文献: 尾形仂『森鴎外の歴史小説 史料と方法』筑摩書房,1979年
参考文献: 蒲生芳郎『鴎外の歴史小説 その詩と真実』春秋社,1983年
参考文献: 福本彰『鴎外歴史小説の研究−「歴史其儘」の内実−』和泉書院,1996年

区分
和書