Anagliphus Romae in villa Medicea, ecc. (capitelli e basi).

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メタデータ / Metadata
Title
Anagliphus Romae in villa Medicea, ecc. (capitelli e basi).

作品タイトル [Title ]
メディチ荘にある古代ローマの浅浮彫り〔現ウフィーツィ美術館蔵〕ほか(柱頭と柱礎)

Author
Giovanni Battista Piranesi

作者名 [Author]
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

Series Title
DELLA MAGNIFICENZA ED ARCHITETTURA DE' ROMANI

シリーズタイトル [Series Title]
ローマの壮麗と建築

Part Number/シリーズ内番号
Tab.XXXVIII.

Inscription 1
Anaglyphus Romæ in villa Medicea, siva schema antiquæ æ dis ex quo monopteras, de quibus dictum est pag. 242. 252. et 254. longe diversas ab iis fuisse deprehendimus, quæ nobis a Vitruvii interpretibus obtruduntur, quæ que ostenduntur fig. IIII.Impositum duarum columnarum Sepulcri C. CestiiIn cavo æ dium Ducis Sfortiæ .In hortis Marchionis del Bufalo.In hortis Marchionis del Bufalo.

版画銘文・版刻文1 [Inscription 1]
ローマのメディチ荘1の浅浮彫り,すなわち古代の神殿の図。ここから242,252,254ページで論じられた単翼式2の神殿が,ウィトルウィウスの解釈者達によって我々に押し付けられてきたものとは,すなわち図IIIIに示されたものとは,大いに異なっていたことが分かる。ガイウス・ケスティウスの墓3の,2つの円柱の片方に据えられていたもの。スフォルツァ公の中庭にて。デル・ブファロ候の庭にて。デル・ブファロ候の庭にて。

版画銘文・版刻文1の訳注
この複合建築は,Nanni di Baccio Bigio ナンニ・ディ・バッチョ・ビジオとAnnibale Lippi アンニバーレ・リッピにより1564年から1575年に建てられ,メディチ家が購入した後,1804年には同名の美術学校としてフランスの手に渡った。その美術学校は,フランス人の芸術家がローマで修行できるようにと,国王ルイ14世が1666年に創設したものである。壁に囲まれた神室がなく,周柱列だけで構成されている神殿形式を指す。 アウグストゥス帝時代の元老院議員であったガイウス・ケスティウス・エプロの巨大なピラミッド形墳墓のことで,ローマのオスティア街道沿いにある。

Inscription 2
Fig.I. et II. A Intercolumnia clathris obstructa quibus monemur æ des monopteras, loco cellæ qua carebant, fuisse clausas.Fig. III. B Clathrorum crassitics, quae monopterarum clathra lapidea fuisse arguit, ut parietis loco essent, et columnæ firmius consisterent.Fig. I. II. et III. C. Stylobata perpetuus; item clatus, ne vulgus in æ dem sacram inspiceret, et clathra ab injuriis defenderentur: ex Vitruv. lib. IV. cap. VII. D. Projecturæ stylobatæ colomnis ad perpendiculum respondentes, quas innuere videtur Vitruvius eodem loco, ubi ait: QVANTA EST DIAMETROS AB EXTREMIS STYLOBATARVM PARIETIBVS.E. Ianua æ dis in laxiori intercolumnio clathrorum loco sita, postibusque extrinsecus obversis patens. FG Tribunal et ascensus ante ianuam aedis, EX SVAE, ut ait Vitruvius, DIAMETRI TERTIA PARTE, nimirum ex tertia æ dis diametri parte altus, ut ad altitudinem stylobatarum adsurgeret, et ex tertia parte procurrens: quam projecturam exegisse videntur septem gradus notati notati literis HI. K Pars alterius æ dificii. L Torus anaglyphi.Fig. IIII.Ex Barbaro. Ex Iocundo. Ex perraultio. Ex Galiano.

版画銘文・版刻文2 [Inscription 2]
図IとII. A 格子で遮られた柱間。単翼式神殿は,神室を欠いているわけだがその代わりに,この格子でもって囲まれていることが分かる。図III. B 格子の厚さ。この厚さは単翼式神殿の格子が石造りで,壁の代わりとして列柱を補強するようなものであったことを示す。図I. IIおよびIII. C 切れ目ないステュロバテス[基台]。高くなっているのは,衆人が神聖な神殿の中を覗き込むことがないようにと,また格子を破損から守るためである。ウィトルウィウス第4書7章〔現用の刊本では第4書8章〕より。D ステュロバテスの,円柱の垂直線に対応する突出部。ウィトルウィウスが同箇所〔第4書8章1節〕で以下のように言うとき,このことを指しているように考えられる。「ステュロバテスの壁の端から測った直径の大きさ」〔現用の一般的刊本とは語順が若干異なる。[quanta ab extremis parietibus est diametros stylobatarum]〕E 神殿の戸口。広めの柱間に格子に代わって設置されており,外開き式の扉でもって開く。FG 神殿の戸口の前の,壇と階段。ウィトルウィウス曰く,それは「直径の1/3」であるが,明らかに,ステュロバテスの高さにまで達するための,高さが神殿の直径の1/3であり,そしてまた1/3だけ突き出ているのである。HI と記された7つの段が突出している様子が分かる。L 浅浮彫りの縁。図IIII.バルバルスによる。ヨクンドゥスによる。ペッラウルティウスによる。ガリアヌスによる。

版画銘文・版刻文2の訳注
バルバルスとは,ダニエーレ・バルバロDaniele Barbaro(ヴェネツィア,1514年生-ヴェネツィア,1570年没)のことである。パトロン,理論家であり,ヤーコポ・サンソヴィーノの息子のフランチェスコ・サンソヴィーノは,父ヤーコポとパッラーディオそしてダニエーレ・バルバロをヴェネツィアにおける三大建築家としている。バルバロの実際の建築家としての活動はあまり明らかではないが,パッラーディオのパトロンとして,そしてウィトルウィウスの建築書に関する翻訳・注解者(1556年にヴェネツィアで,I dieci libri dell'architettura di M. Vitruvioを出版)として知られている。このヨクンドゥスとは,フラ・ジョヴァンニ・ジョコンドFra Giovanni Giocondo(ヴェローナ,1433年生-ローマ,1515年没)のことである。彼はフランチェスコ会の修道士でもあったが,技術者,建築家,古代碑文研究家,学者として知られた。後のCorpus Inscriptionum Latinarumの基となる,ラテン碑文集を作成。ナポリ王家やフランス王家にも仕え,各地の都市建築やインフラストラクチャーの構築に関わった。パリ滞在中にウィトルウィウスの建築書に関して論じ,1511年にその最終版を刊行し,教皇ユリウス2世に献上した。1513年にはフォーマットを小さくした再版が出版され,ジュリアーノ・ダ・メディチに献上され,多くの芸術家に影響を与えた。ペッラウルティウスとは,クロード・ペッローClaude Perrault(パリ,1613年生-パリ,1688年没)のことである。彼は建築家,理論家であり,ミリー男爵でパトロン,収集家でもあったジャンの兄弟である。王立建築アカデミーのメンバーで,1673年にウィトルウィウスの建築書を翻訳,出版した(Vitruve: Les Dix Livres d'Architecture)。ガリアヌスとは,ベラルド・ガリアーニ候Berardo Galiani(テラモ,1724年生-1774年没)のことである。芸術愛好家であった彼は,1758年にナポリで,自身の手による図版25葉を含むウィトルウィウスの建築書に関する注解書を出版した(L'Architettura di M. Vitruvio Pollione colla traduzione e commento del marchese Berardo Galiani)。同58年には,ナポリに来たヴィンケルマンとも知り合っている。

Signature
Piranesi F.

銘記・署名 [Signature]
ピラネージ作

Volume/巻番号
7

Plate/葉番号
37

Kamei Collection Number/亀井文庫番号
321

Firmin-Didot Number/Firmin-Didotレゾネ番号
321

Negative Film Number/ネガ記載番号
7047

Image Number/画像シリアル番号
367

Image Size/画像実寸
425X686

Plate Size/プレート実寸
432X692

Calcografia volume number/Calcografia巻番号
SETTIMO

Calcografia Number/Calcografiaレゾネ番号
321

H.Focillon Number/H.Focillonレゾネ番号
966

H.Focillon's description
966. XXXVIII. Au milieu, Anaglyphum Romセ in villa Medicea, etc.; à dr. et à gauche, chapiteaux et bases. -- Sig. en bas à gauche. -- H. 0.43. L. 0.695. -- Fil. id.

H.Focillon記述 [H.Focillon's description]
966。図版38。中央に,メディチ荘から出土した浅浮彫り等がある。四方に柱頭や柱基がある。−左下に署名。−高さ0.43,長さ0.695。−二重の枠線。

J.W.Ely Number/J.W.Elyレゾネ番号
798

J.W.Ely's Title
Various architectural details including fragments relating to the temple of Vesta, Roma.

J.W.Ely's description
Signature, lower left.

Taschen Number/Taschenレゾネ番号
475

subject
archeological objects

Calco_tav_no
tav. 38

subcategoria
reliefs, capitals, column bases