解説

宮武外骨蒐集資料


宮武外骨(1867−1955)とは

明治、大正、昭和の時代を生き抜き、数多くの出版物を残した人物である。
時勢に対して時には獄中に繋がれることも辞さない諧謔をもって描き出す筆致や、巧みかつ大胆な画像構成など外骨の発行物は強いインパクトを持っており 、現在でも数多くの復刻版や関連資料が刊行されている。数十タイトルに及ぶ個性的な新聞、雑誌を発行しており、特に大阪で明治34(1901)年に創刊した『滑稽新聞』は鮮やかな表紙絵と愛嬌に富んだ内容、日本初の駅での雑誌呼び売りなど斬新な販売方法で8万部以上を発行したといわれる。

(参照文献)

  • 吉野 孝雄, 1993, 「解題」『滑稽新聞 : 完全版 (宮武外骨此中にあり : 雑誌集成 6)』ゆまに書房, 581. (ISBN 4896686802)
  • 木本 至,1984, 『評傳宮武外骨』社会思想社. (ISBN 4390501798)
  • 2017, 『宮武外骨 : 頓智と反骨のジャーナリスト (別冊太陽)』平凡社. (ISBN 9784582922509)

東京大学大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センター明治新聞雑誌文庫とは

昭和2(1927)年に「新聞保存」を掲げ、東京帝国大学法学部付属施設として創設。明治期~昭和戦前期にかけての新聞・雑誌・錦絵等関係資料を所蔵、公開している。 明治・大正期に国内で刊行された新聞・雑誌コレクションとしては世界最大級とされる。 所蔵資料は国内外における多方面の研究活動、歴史編纂事業、展示などに役立てられている。

創立沿革
「大正デモクラシー」の思想的指導者で東京帝国大学法学部教授の吉野作造や、尾佐竹猛、石井研堂、宮武外骨らが設立した「明治文化研究会」は、大正12(1923)年の関東大震災による明治期の新聞雑誌の散逸状況を憂え、明治文化及び明治期活字資料の発掘を行うとともに、新聞雑誌保存館の必要を唱えた。
この構想に賛同した宮武外骨の盟友であり、出版文化への深い感謝の念を持っていた博報堂の創業者、瀬木博尚氏が15万円の寄付金を東京帝国大学に提供。東京帝国大学法学部では吉野作造、中田薫、穂積重遠諸教授の協力の下、大正15(1926)年10月、「明治新聞雑誌文庫」を法学部に付置することを決定、館長には穂積重遠教授、事務主任に宮武外骨を迎えた。

WEBサイト
http://www.meiji.j.u-tokyo.ac.jp/index.html


宮武外骨書函ほか明治新聞雑誌文庫で所蔵されている資料の所蔵検索については明治新聞雑誌文庫所蔵検索システム「明探」(http://www.meitan.j.u-tokyo.ac.jp/)をご活用ください。