2. 平賀文書の受け入れ・整理の経過

 1976(昭和51)年に東京大学史史料室(当時は百年史編集室)が『東京大学百年史』編集の際に、歴代総長の史料調査の一環として平賀譲の所蔵史料の調査を行いました。その時点ではご遺族の平賀輝子氏(平賀譲の長男謙一氏の未亡人)が所蔵されていた史料のうち、東京帝国大学関係の史料(書翰・新聞切抜きスクラップなど)について仮整理と復刻の作業を進め、1982(昭和57)年7月に『東京大学史史料目録9 平賀譲史料目録』が発行されました。また東京帝大関係以外の史料については、平賀譲の次男平賀重孝氏、長男謙一氏の長男平賀健氏、長女稲葉晴子氏の三氏によって保管されていましたが、そのうち艦船関係の史料は謙一氏が整理の途中であったものを謙一氏逝去後の1978(昭和53)年頃、平賀の高弟牧野茂氏(元海軍技術大佐)が、故謙一氏未亡人平賀輝子氏より保管を依頼され、海軍技術官の観点から整理に着手しました。

 その後1981(昭和56)年頃、海軍造船官の「和衷協同」を図る造船会の戦後継承組織を中心として平賀譲伝刊行の要望が生まれ、同時期に平賀譲伝を計画していた元海軍技術大尉の内藤初穂氏が衝に当たることとなり、主として艦船関係史料や総長式辞・告辞について牧野氏と分類整理をすすめ、1985(昭和60)年、その一部を牧野茂監修・内藤初穂編『平賀譲遺稿集』として出版協同社より刊行しました。また平賀譲伝については、内藤氏執筆の『軍艦総長平賀譲』が1987(昭和62)年に文芸春秋社より刊行され、1999(平成11)年には増補改訂版が中公文庫の一冊として刊行されました。

 内藤氏は『平賀譲遺稿集』の編纂時に平賀関係史料の調査を行い、艦船・総長関係以外の史料(日記等)が上記の三氏によって保管されていることを知り、その事実や保管物件に関して、論稿「平賀譲伝について」を『学士会会報』771号(1986年4月)に発表しました。それを契機として東京大学史史料室(当時は百年史編集室)が1986(昭和61)年5月から12月にかけて内藤氏の協力のもと、所蔵状況の再調査を行い、その結果、1986(昭和61)年からその一部を借用する形で受入れを進め、1990(平成2)年12月、平賀家から同史料室に一括寄託の運びとなりました。寄託は平賀譲の次男平賀重孝氏、牧野茂氏、戸高一成氏(財団法人史料調査会主任司書、現在は呉市海事歴史科学館長)の三氏によって実施され、その際内藤氏と史料室の関係者とが立ち会いました。

 寄託されたこれらの史料については、まず中野実・佐々木尚毅の両史料室員が戸高一成氏の協力のもと、仮目録の作成を行いました。1996(平成8)年8月30日、平賀文書の管理責任者であった牧野茂氏が長逝されましたがその遺志を受けて、1998(平成10)年に本文書を閲覧可能にするためのマイクロ化、及び詳細な目録作成の機運が高まり、室外から造船関係の専門家として山本善之氏(東京大学工学部名誉教授)、片山信氏(元海軍技術大尉、横須賀海軍工廠勤務)、宮崎晃氏(元三菱重工業勤務)を、日本近代史や海軍史の専門家として戸高一成氏(前出)、照沼康孝氏(文部科学省初等教育局第一教科書調査官)、佐々木尚毅氏(秋田桂城短期大学助教授)、鈴木淳氏(東京大学人文社会系研究科・文学部助教授)、またご遺族代表として平賀重孝氏を招き、これらメンバーに史料室員の中野実、畑野勇を加え、内藤氏を責任者とする「平賀文書研究会」が発足の運びとなりました。同研究会ではそれから約3年間、同史料室に寄託された平賀譲文書すべてのデータベース化と目録作成の方法、閲覧の方針を協議し、畑野がデータベース作成を実施しました。